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台湾原住民族と南島語族

※「原住民」という標記について

台湾の公用言語である台湾国語では、「先住民族」は”既にいなくなってしまった民族”という意味があります。一方、「原住民族」は”元々居住していた民族”を指し、台湾では差別的な意味を持たず公式的に使用されています 。

台湾原住民族とは、17世紀に漢民族が台湾へ渡って来る前から台湾に居住していた人たちのことを指します。台湾原住民族群の分類は各時代や分類基準の差異によって変化しており、清朝は漢化の程度を「生番」・「熟番」・「化番」に分け、「土牛界線」或いは「隘勇線」を設けこの境より奥の原住民居住地の開拓を禁じました。これにより平地の住民と山地の居住する生番との交流を制限し、清朝は「生番区」を化外の地(中華思想で中国の権力・法律が行き届いていない地方を表す)としました。 1895 年には日本による統治が開始され、日本政府は学者を台湾へ派遣して台湾原住民族の調査を行いました。言語・風習・文化の特質に基づき調査され、漢化が進んだ「熟番」を「平埔族」と称し、さらに平埔族を十族に分類しました。平埔族以外の原住民族は「高砂族」と称され、当時は七~十族に分類して各部族の族名を付けました。このような分類方法や命名方法は適切なものかについては、学者たちの間で未だ頻繁に論争されています。1945年に中華民国政府が台湾へ渡ってきた後、基本的には日本時代に設定された台湾原住民族の分類方式を引き続き採用したうえで高砂族を「高山族」と称して九族に分類し、戸籍上では「山地民」と「平地民」に分けました。日本統治時代に熟番とされた平埔族は、基本的には漢民族と見なしました。

その後、1980年代からは原住民族にとって差別的な意味がある用語や事実に反する事 柄を社会から撤廃し、少数民族群の権利を得ることを目的に台湾原住民権利促進会が筆頭となりさまざまな運動を起こしました。その甲斐があって、1994年には差別的な意味がある「山胞」を「原住民」と称するように憲法が改定されました。さらに1995年には姓名條例が制定され、原住民族は漢民族式の名前ではなく本来の名を戸籍上で登記可能となりました。台湾原住民族たちは 1 世紀以来ずっと外来政権による影響を受けてきたなかで、この時初めて権利及び尊重を勝ち得たのです。現在台湾政府が認定している原住民族群は、アミ族・タイヤル族・サイシャット族・ブヌン族・ツォウ族・パイワン族・ルカイ族・プユマ族・タオ(ヤミ)族・サオ族・クバラン族(カヴァラン族)・タロコ族及びサキザヤ族の計十六族あり、その総人口は約54万人(2016年6月現在)とされています。過去に平埔族群として分類された族群は、ケタガラン族・タオカス族・バサイ族・パポラ族・猫霧捒族(Babusaga)・洪雅族(Hoanya)・シラヤ族・猴猴族(Qauqaut)などがあり、歴史上漢民族との交流が盛んにあったため部族における伝統的な文化は次第に失いました。しかし、最近では多くの部族たちが失った言語や祭儀などの伝統文化の再復興に努めています。将来的には、台湾にはさらに多くの原住民族の部族が認定されていくと考えられます。

人類学や言語学、考古学などの領域において、台湾原住民族は南島語族に属するとされています。南島語族の分布は太平洋やインド洋地区で、東はイースター島、西はアフリカのマダガスカル島、南はニュージーランド、北は台湾までの分布範囲です。フィリピン・インドネシア・マレーシアなどを含め、その総人口は約二億五千万人いるとされています。台湾南島語族的祖先はいつ、何処から台湾へ渡って来たのかは未だにはっきりと解明されていません。一説によると彼らが最初に中国大陸の南から西南部へと分散し、一部分の人々が直接海を渡り台湾に来たと考えられているほか、それぞれ異なる時期に彼らはフィリピン諸島を経由し、北上にある台湾へを渡って来たとされています。言語学者によると、台湾南島語はほかの地域の言語よりも複雑であり、台湾は台湾南島語の発祥地であると考えられています。

 

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